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初代 相澤 半太郎 (1877-1933)

岡山出身、馬喰(ばくろう)をはじめ、日清戦争のころ日本軍の物資として缶詰等の扱いにより、財を成した。その後上京し、明治28年に割烹業をなした。大正時代に当時もっとも賑わう浅草の仲見世右裏に店を構えた。

大正12年の関東大震災により、建物が倒壊ししてため、昭和に入り再建し、その当時の建築技術の粋を集めた建物はのちに今半御殿と言われた。その賑わいで「今半で景気を占う」と言われていた。

夢をかなえ興業士としても浅草の華やかな時代に貢献し、成功おさめた初代半太郎は、昭和8年8月療養中の箱根にて58歳にして他界した。

店舗建築に際して

相澤家の墓石
墓石には「明治二十八年居を東京に移して割烹業をはじめ」と刻まれている。

初代 相澤半太郎

屋号の「今半」は初代半太郎の「半」からとられた。

「今半」の由来

屋号の「今半」について、初代半太郎の「半」であることは、間違いありません。「今」については諸説御座います。


1.「今様(いまよう)」新しいという意味、文明開化の最先端の食べ物を扱っているという「今」

2.港区白金にあった「今里村」政府公認の食肉処理場の肉をあつかっているという今里ブランドの安心安全を意味する「今」

3.当時牛鍋が流行していて「今」とつく屋号がたくさんあり、そのうちの一つで修業をしてきたための「今」

二代目 相澤 邦雄 (1898-1987)

京都帝大卒後、検事を務めていた邦雄は縁あって、半太郎の1人娘と結婚し、半太郎没後2代目を継いだ。昭和20年3月10日東京大空襲により、浅草は焼け野原と化し、残念なことに今半御殿もすべて焼失してしまった。伊豆に疎開していた邦雄は浅草に戻り、昭和26年現地にて有限会社今半本店として登記、商売を再開した。昭和30年ころまでに奥座敷を含む現建物が建てられた。

焼失前の今半御殿

焼失前の今半御殿

二代目 相澤邦雄

二代目 相澤邦雄

三代目 相澤 伴太郎 (1925-1994)

二代目邦雄の9人兄弟の長男として三代目を継ぐ。二代目とともに昭和30年代の浅草において、高度経済成長と映画街の賑わう今半本店を支えた。家業を継ぐ前には獣医をめざし、日本獣医大学に在籍した。幼馴染の今半別館さんの長女長美喜美子と結婚。実直で誠実な人柄で誰からも慕われ、現在の今半本店の営業スタイルを確立した。

四代目 相澤 胖志 (1946-1986)

三代目の長男として、四代目を継ぐも、志半ばして病に倒れた。享年39歳。慶応大学に在籍、音楽美術芸術をこよなく愛し、その才能を今半本店に生かしていた。友人に恵まれ今でも店を訪れてる人が絶えない。

三代目 相澤伴太郎

三代目 相澤伴太郎

四代目 相澤 胖志

四代目 相澤 胖志

五代目 相澤 二郎(1955-)

森村学園を経て関東学院大学卒業後、浅草ハムに入社。兄の没後、平成2年に五代目となる。何よりのごちそうはすき焼きである。

長かったコロナも終息を向え、浅草にも活気が戻って参りました。
当店の奥座敷は、建築後70余年経ち、お陰様で国の有形文化財に指定登録されました。
浅草の喧騒を忘れた歴史ある空間でゆったりと流れる時を感じながら、美味しいすき焼きをご堪能ください。
そして様々な出会いの場として、たくさんの思い出を作っていただき、それが物語になるような店を目指して精進してまいります。

五代目 相澤 二郎

五代目 相澤 二郎